兄と妹の正しいあり方

 ここは数あるプルト共和国の1つ。ここに、アルサークという姓を持つ家族が住んでおりました。父親と母親、そして子供5人で編成されるこの大家族はたいへん仲が良かったそうです。

 プルトの中枢を担っている建造物、評議会館やワクト神殿を有している神殿前広場と、各ショルグ前広場とを繋ぐ大通り。そのショルグ前の近くにあるイムの像の前の辺りで、白い肌で精悍な顔をした青年と、それとは対照的な黒い肌で凛々しい顔立ちの少年とが向かい合って立っていました。青年のほうは、ヒズカ・アルサーク、少年のほうはサルキソフ・キルデリーという名でした。
 ヒズカのほうはサルキソフのほうに睨むような視線を向けていましたが、サルキソフのほうは半ば呆れた表情です。
 やがて、ヒズカのほうが口を開きました。
「サルキソフくん、こんなことを知っているだろうか。君くらいの年齢の若者は、常に事を急く傾向にあるということだ。つまるところ、事を焦ってしまい周りの状況を冷静に把握することができない。そして失敗する」
「はぁ」
 そう呟いたサルキソフはとてもやる気がなさそうです。
「僕には、君にその傾向があるように見えるのだ。まだ君は若いのだから、出世のことも、ましてや色恋沙汰のことも急く必要はあるまい」
「…つまりは、ひとえにラミスと付き合うことをやめなさい、ということですか?」
「いやいやいや」
 ヒズカは、大きく手を振りました。やけに大げさな動作で思わず私が笑ってしまいます。わっはっは。
 …と、失礼。
「僕は2人のためを思って言っているのだよ。まだ君達は2人とも若いのだから、もっと…。ああ、そうだ。同性同士の友情というものをもっと大切にすることで、人との信頼関係を学ぶべきだと思うのだ。友情は年を経ても変わらずに続いていく尊いものだ」
「はぁ、そうですか」
「うんうん、納得してもらえたかな」
 ヒズカは、表情を崩し、にこやかな笑顔を見せました。この青年、年の割に笑顔がかわいいですね。
「でも、友情と恋愛は別物です。たくさんのものを経験して人は大きくなるものだと思いますが。それには若さということは関係ないでしょう」
 このままでは府に落ちないのでしょう。サルキソフが反撃開始です。しかし、ヒズカもさすが年長者だけあって負けてはいません。すかさず反論します。
「だがね、男女の関係というものは、一言では片付かないほど奥深いものなのだ。例えて言うのなら、様々な感情が入り乱れ、踊り続けるお祭りのようなものだ。おお、その祭りの熱気にあてられ、それこそ取り返しのつかないところまで発展してしまう可能性が、…」
「ヒズカお兄ちゃん」
 そこに突然若い女性の声が割って入りました。その声にぎくりとして、ヒズカが後ろを振り返りました。
 そこに腕を組んで立っていたのは、一人の少女でした。大きな茶色の瞳と、やわらかそうな栗色の髪の毛が印象的な娘さんで、細すぎない体躯は、逆に健康的で魅力的です。ぶっちゃけていうとたいへん私の好みです。
 彼女の名前はラミス・アルサークといいました。ヒズカの妹で、サルキソフの恋人である少女です。
「ら、ラミス!」
 ヒズカがたじろいだのとは対照的に、栗色の髪の少女ラミスはヒズカを睨みつけました。
「またサルキソフに絡んでいるのね。これで一体何度目? 私は何度も忠告したはずなのだけど。いいかげん頭にきたわ」
 ラミスはつかつかと、2人の間に割って入ると、ヒズカのほうを更に鋭く睨みました。とはいえ、もともと可愛い顔立ちなのでそこまで凄みはありません。
「こんな話を聞いたことがあるかしら。人の恋路を邪魔するものは、イムに食べられてしまうのだとか。そして、その人間を食べることによって、イムは砂イムのように大きくなるのよ。これが砂イムの誕生秘話らしいわ」
 ヒズカの顔が徐々に青ざめていきます。ラミスはそれに構わずにヒズカを冷ややかに、睨み続けました。一生懸命に怖い顔を演出しようとしている彼女が健気です。普通はこのくらいの睨みなど全く通じないでしょうが、ヒズカには十分すぎるほど効き目のようです。まさに蛇に睨まれた蛙のような状態です。
 それにしても、ただの冗談に対してのヒズカの血の気の引いた青白い顔は、ある意味異常でした。過去に何かあったのでしょうか。
「ねえ、お兄ちゃん、今晩辺り周囲に気をつけたほうがいいわよ。夜に目が覚めたら、共和国中、いえ、ここから南にあるタルムドの森のほうにいるイム達全てがお兄ちゃんの部屋いっぱいに埋め尽くされていると思うから。…行きましょう、サルキソフ」
 想像すると笑ってしまいますね。イムベッドになりそうな気がします。どんな心地なのでしょう。
 ラミスは2人のやりとりに呆気に取られているサルキソフの腕を取り、大通りから港通りのほうへと姿を消していきました。
「ラミスぅ」
 取り残されたヒズカが発したその声は、精悍な顔に似合わずやけに間延びしたものでした。

 その後、ラミスとサルキソフは大通りから港通りを通り、タラの港のほうにやって来ました。海からの風が、ラミスの髪をやさしく揺らしています。
「何もあそこまで言わなくても」
 そう言ったのはサルキソフです。ラミスは大きなため息をつきました。
「けれど、本当にこれで何度目? あんなことは、ただのもてない男のひがみだわ。あのくらい言わないと、あの人はこれからも何度だってあなたに絡むわよ」
「でも、ヒズカさんは、ただ単にラミスのことが心配なんだよ。兄というものは、常に妹の心配をするものだ」
「それは同じように妹のいるサルキソフにも覚えのある感情なのかしら」
「まあね。やっぱりかわいいからね」
 彼にはミナコという妹がいたのです。ミナコはサルキソフによく似た少女で、ラミスにもよくなついており、彼女にとっても可愛い妹のようなものでした。彼女のことを思い出して、ラミスは少し顔を綻ばせました。
 しかし、先のヒズカの様子を思い出して、再びため息をつきます。瞳に影を落として、彼女はぽつぽつとつぶやき始めました。
「ヒズカおにいちゃんは昔からああだったわ。イスカおにいちゃんと一緒に、私や妹達のことをとにかく心配してくれて。おせっかいなくらい可愛がってくれて。面白い話もいっぱい聞かせてもらったわ。愛されているということは十分すぎるほど分かるの。だけど、私の気持ちをほんの少しも理解してくれない。私だって、お兄ちゃんには幸せになってほしいのに」
「ラミス」
 サルキソフは今にも泣き出しそうなラミスの肩を優しく抱きました。
「君達はとてもよく似ているよ。同じようにお互いを心配しあっているにもかかわらず、その気持ちは相手に伝わりきれずにすれ違ってしまう。ラミス、ヒズカさんともっときちんと話してみなよ」
「うん、そうだね…」
 ラミスは素直に頷くと微かに口元を緩めました。
「それにしても、ヒズカさん、ただの冗談に随分と青ざめていたね」
 それは私も気になっていました。
「イムのことはお兄ちゃんには一種のトラウマなの」
「トラウマ?」
「随分と小さい頃、お兄ちゃんはイムがとても好きだったらしいの。幼い頃はよくイムの後ろをおっかけて遊んだらしいのだけど、でも、そんなある日、見てしまったらしいのよ」
「何を?」
「おばあちゃんの葬儀の後、ナーガの館のほうで変な音が聞こえたそうなの。『ぐちゃ、ぐちゃ、ねちゃ、ばりっ』っていう音が。それで、不思議に思ったヒズカお兄ちゃんが覗いたら、そこには口の周りを赤い液体で汚し、口元に不敵な笑いを浮かべるイムが…」
 おやおや、ヒズカの子供の頃にはそんなことがあったのですね。ホラーじゃないですか。話にするとこんな感じでしょうか。
『怪奇! 少年は見た。ナーガの館での恐怖の一夜。イムと少年との不思議な関係。『はにゃがへっちゃ』『うわああ、助けて!』少年の悲鳴が神殿内にこだまする。そこに現われたナーガの館の天井よりも大きい1匹のバグウェル。崩れ落ちる神殿。逃げ惑う人々。果たして少年は無事に家に帰ることができるのか!?『ああ、ヒズカ!』少年の母親の悲痛な叫び。『駄目だ。今行けば君まで巻き添えになってしまう!』必死に止める夫。『でも、ヒズカが。ヒズカが!』『ここは僕が行く』水をかぶって神殿に挑む父親。彼の愛と勇気の行動の行く末は!? 次回、『巫女が見たワクト神殿の真実』乞うご期待!』
 ありゃ、なんか違いますね。とにかく、そりゃトラウマにもなるというものです。
 さて、その話を聞いたサルキソフは腕を組んで何かを考え始めました。
 そして、何かが通ったかのような一瞬の沈黙の後――。
「…分かった。そのオチは花のジャムだろう」
「ええ、それを見たヒズカおにいちゃんがとにかく泣き喚いて、こりゃただ事ではないぞ、とお父さんとお母さんがちゃんと調べたらしいの。そうしたら、誰かが落としたジャムだったのですって。『ぐちゃぐちゃねちゃ』っていうのはジャムを食べる音で、『ばりっ』というのは瓶を食べる音ね」
 おや? そうだったのですね。私の予想とは違ったようです。残念。私は何を想像していたかって? チアイでも食べているのかと思いました。あはは、チアイはオルルドですね。
「人騒がせなイムだね」
「寧ろお兄ちゃんがね」
 はぁ、とラミスは再びため息をついたのでした。こういう兄をもつと妹は苦労するようですね。勉強になります。

 さて。一方、イムという名前のトラウマを抱えているヒズカはあの後、よろよろとした歩みで帰宅しました。当然ながら、その様子を見ていたすべての人に不安を与えるような姿です。気を使って何度か誰かがヒズカに話し掛けたのですが、彼は上の空状態でした。彼は自宅に入ると、そのままテーブルに突っ伏して頭を抱えました。
 いつの間にか、そのヒズカの傍には同じ年のよく似た面差しの黄色い肌の青年がいました。でも、顔の造作は似ていても、雰囲気はヒズカとぜんぜん違います。ヒズカは熱っぽい、火という印象を受けますが、この青年はどちらかというと涼しげで、水のような印象です。その青年の名前はイスカ・アルサーク。ヒズカの双子の兄です。
「昼間のことは見ていたぞ。度が過ぎたな」
「うぅ。イムが、イムが…」
「お前、それはラミスのただの冗談だぞ。いい年をして、いつまであのときの影を引きずっているつもりだ」
「イスカ、お前は知らないからだ。あれはなぁ…、ああ、思い出すのもおぞましい。あのときのイムの形相、そして悪魔アンゲロスの如き所業…! 神聖と呼ばれている動物のあの姿。俺はもう何も信じることはできない…」
 大げさにそう言って、更に青ざめたヒズカを見て、イスカはやれやれといったふうな視線で机に突っ伏している彼を見下ろしました。
「それはもういい。大体、ラミスの相手として、サルキソフのどこが不満なんだ。メーネ伯母さんの息子だし、年の割にはしっかりしている。きっとお前以上に」
「どうせ俺は子供っぽいよ」
「大の大人がふくれても、みっともないだけだぞ」
 イスカはヒズカの頭を小突きました。
「ええい、いつもバカにしたように小突くな。…確かに俺だって、サルキソフはしっかりしていると思っているさ。でも、しっかりしているからといって、ラミスに相応しいだとか、幸せにしてやれるということは別問題だろ」
イスカは、ヒズカのその言葉にやれやれと、いった表情で、もう一度頭を小突きました。
「お前は口が上手いくせに肝心なところがすっぽりと抜け落ちているよな。器用な奴め」

 その日の夜、ヒズカとラミスの2人はイスカの采配で話し合いの場をもうけることになりました。そこで2人はお互いに気持ちを言い合い、お互いに納得することができました。さあ、これで仲直り。一件落着ですね。
「しかし、ラミス。少し聞きたいのだが、今そこに置いた物は一体なんだい?」
 ヒズカは冷や汗をかきながら、そこにあるものを見つめました。そこには花のジャムがたくさん置いてありました。置かれたアイテムは全てぷるぷると震えています。
「勿論、仲直りの印よ。今日は古傷を再びえぐるような真似をしてしまって、本当にごめんなさい」
ラミスはぺこりと頭を下げて部屋を出て行こうとしました。
「いや! だから! どうして、床におくんだ!? 俺に直接手渡してくれればいいじゃないか!」
「まあ、お兄ちゃんってば私からのプレゼントに照れているのね」
 ラミスは微笑みを浮かべると、今度こそ部屋を後にしました。
 そこに取り残されたヒズカ。
 冷や汗だけが流れて、全く動くことができません。
 顔は真っ青です。
 地面に置かれたぷるぷると震えるアイテム。
 窓からそれを見つめるいくつかの影。
 ヒズカは、ゆっくりと窓のほうを振り返りました。
 窓をうめつくさんばかりの白く丸いシルエット。
 「にゃぬくぁおーけ」
 白い影がその言葉を発した瞬間、思考すらも白くなりました。

 静かな夜は、そこで終わりを告げました。
 闇夜をつんざくようなその悲鳴はタルムドの森で眠るバグウェルすらも問答無用で叩き起こすほどのものだったという噂です。本当でしょうか。

 その後、ヒズカがラミスとサルキソフの間に入ることはなくなったようです。話し合いが成功したか否かはちょっと分かりませんが、どのような理由にせよ、これで2人の間に入る障害はなくなり、次の年の10日に晴れて結婚式を挙げました。その時ラミスの笑顔はこれ以上ないというくらい幸せそうなものだったということです。
 ちなみに、ヒズカのトラウマは、彼が結婚するまで続いたのだそうです。しかし、その後はすっかりイムが平気になったとか。奥さん曰く、結婚式直前に『荒療治』をしたらしいです。どんな方法だったのでしょうね。花のジャムを体に巻きつけてイムの穴にでも落としたのでしょうか。そして、その後にヒズカはイム拳をマスターしたとか。って、このネタは違いますね。まあ、実際のところは分かりません。ここは楽しく想像することにしましょう。とにもかくにも傷が塞がってよかったですね。

めでたし、めでたし…?