初恋と憧れと

 場所は大通り南。透き通る青空の下、ちょうどその真ん中辺りに3人が佇んでいた。

 一人は僕、オルガノ。まだ今年の最初に成人したばかりで、少年の粋をまだ過ぎていない新成人。
 一人は女性。名前はカレン。僕と同じ褐色の肌を持ち、黒くてウェーブのかかった髪を肩の辺りで切りそろえていた。まさにその名前の持つ響きのような人で、異性ということを常に意識させるような、そんな女性だった。
 そして最後の一人は黄味がかった肌をした老齢の男性。黒い髭がよく似合っていた。名前はユーラシアと言った。

「オルガノ君。ごめんね。私、やっぱりあなたのことは弟みたいにしか思えなくて」
 目の前にいる褐色の女性、カレンさんが今にも大きな黒い瞳を潤ませてそう言った。
 その隣には、髭のよく似合う渋い男性、ユーラシアさんが立っている。確かカレンさんや僕と比較すると親子以上の年齢差だったと記憶しているが、背筋もぴんとして、よく鍛えてある逞しい体つきは、とても老いた男のそれとは見えなかった。彼は、はっきり言って、男の僕でも惚れそうなくらいの良い男だったが、その時の僕にはそんなことを考える余裕もなく、呆然と目の前の二人を眺めていた。
「それじゃあ、行こうか、カレン。オルガノ君、すまないな」
 ユーラシアさんはカレンさんの肩を抱いて、そのままタラの港のほうへと消えていった。
 僕は、その日の夕方に、仕事帰りの姉シャンテに声をかけられるまで、大通り南に佇むことになった。その姉の話によると、心ここに在らずといった様子だったらしい。

それは、生まれてから初めて味わった失恋の味だった。
 厳密に言えば、付き合ってもいなかったのだから、ゴシップ掲示板の失恋数に数えられることはなかったのであるが。
 それだけは救いといえば救いだったが、それでも心が傷ついたことには変わりがなかった。

 次の日、僕はカレンさんによく似た褐色の少女とタラの港に来ていた。彼女が僕のあまりにも意気消沈した様子を見かねて無理やりに連れてきたのだ。心遣いは嬉しいが、正直いうとあんまり彼女の顔を見たくない、と感じてしまったのも本当だった。なぜなら、彼女はカレンさんの実の妹だったからだ。
 少女の名前はマコ。僕と同じ年の元同級生だ。長い髪を後ろで結った彼女は、その活発そうな外見の通り、とても気が強く、その雰囲気はといったらカレンさんとは正反対だった。
「バッカじゃないの!?」
 昨日の失恋話をしたら、いきなり怒鳴られた。
「だから、前々から忠告してあげていたじゃない。そんなことしても、悲恋は目に見えているって」
 それは事実で言い返す言葉もなかったので、僕はまくしたてるマコの言葉を黙ってきいていた。
「あんたさぁ。もう少し利口だと思っていたのに。本当にバカね。大バカ!」
 バカという言葉の連呼に、僕のこめかみがぴくぴくと反応する。
 さすがに、腹が立ってきた。
「さっきから、バカバカうるさいな、デカ女」
「で、デカ女ですって!?」
「だって、僕よりも2pも高いじゃないか。十分、でかい!」
「あんたの身長が低いだけでしょ!」
 痛い。
 失恋の痛手に加え、気にしていることをずばっと言われると、さすがに堪えるものなんだな。
 とはいっても、確かに僕もひどいことを言ったから、自業自得かもしれない。

 しばらくしてから、マコのほうが溜息と同時に口を開いた。
「あんたさぁ、本気だったの?」
 僕は黙ったまま、こくりと小さく頷いた。
「仕方ないよ。だって、姉さん、年上好きなんだもん」
 それは、ずっと分かっていたけれど。だって、僕らは幼馴染だったのだから。カレンさんは本当にキレイで、ふわふわしていて、小さくて、自分とは違う女の子だってことを感じさせる人だった。学舎で一目見てから、ずっと憧れていたんだ。
 でも、先に彼女が成人して、その一年後にやっと僕も成人して、その一年の間に彼女にユーラシアさんっていう恋人ができたのを承知で告白して、結局あの有り様だ。僕のほうが、無理やり大通り南で待ち伏せしたんだ。だから、ユーラシアさんと鉢合わせになっても仕方がないんだ。
 それでも、やっぱり気持ちは沈む。
「ほらほら、少年よ、落ち込むなって。あんたなら、これから良い人が現れるよ。だって、ミダの魂を受け継いでいる上に、エナの加護まであるでしょ。ほら、それに比べて、あたしなんて、何も、ないんだから」
 最後のほうは消え入りそうな声だった。僕は、そんな彼女のほうを見た。
 瞳をかすかに潤ませて、顔を俯かせていた。手を口元にあてて、表情を僕にさとられないようにしているのが痛々しかった。
「マコ」
「やだな。あたし、コンプレックス丸出し? かっこ悪い」
 マコは、ぐいっと涙をおさえるように目をこすった。
「ごめんな。マコ。僕、もう大丈夫だから。マコの励まし、凄く効果あった」
「あはは、そう? なら、良かった」
「ありがとう、マコ。本当に感謝しているんだ。デカ女なんて言ってゴメン」
「あたしのほうこそ、バカなんて言っちゃって、ごめん」
 そうやって、少し頬を赤くして俯いた彼女を見て、僕は何故かドキっとした。
 何だろう、この気持ちは。

 向かいあったまま微妙な沈黙が続いた。
 あぁ、傍から見れば、変な2人だと思われているんだろうな、きっと。
 何かを話さなくちゃ、と思った瞬間、僕の口から自然とこんな言葉がこぼれた。
「なあ、マコ。よかったら明日もまたこうやって話でも、しないか?」
 言ってから、何故こんな言葉が出たんだろうと不思議に思った。
 だって、マコとは、ほぼ毎日のように何処かで何かを話している。今更こんなこと言うまでもなかった。
 それなのに。
 案の定、彼女は目を丸くして僕のほうを見た。
 …彼女のほうが少しだけ背が高いせいで、若干見下ろされているのが情けないところだけど。
 マコは少しまばたきをした後、その顔に笑みを浮かべて、こう答えてくれた。
「うん、いいよ」
 その笑顔は、今まで見たどんな女性のそれよりも可愛いと感じていた。

 それから。
 僕達がこれまでの青色の雰囲気だったそれとは変わってほんのりとした桜色の雰囲気を帯びてタラの港に訪れるようになるまでに、そこまで時間はかからなかった。