翠玉の鎮魂歌、エピローグ

 少年は、今、評議会館と呼ばれるところにいた。そわそわとしている周りの子供達とは違って、一人静かに自分の手の中の石をじっと眺めていた。
「それ、なに?」
 近くにいた子供がその少年に問うた。
「翠玉…」
「スイギョク?」
「…翠色の玉だから」
 父はそう名付けたらしい。
 訊ねてきた子供は答えにはさして興味なさそうに、ふうん、と言っただけで会話は途切れた。その子供も緊張をしているのだろう。落ち着かなくて、なんとなく話しかけてきただけだ。
 少年は小さく息を吐いて再びその石を眺める。石は不思議な光を放っていた。
 この石は移住前に学校に入学祝に父からもらったものだ。母や双子の妹には内緒だからな、と言って、手渡された。
 それからどうして今に至る状況になったのかはよく分からない。思い出そうとしても記憶はぷっつりと途切れていて、気付けばプルトへ向かう船の上。荷物もなにもなく、持っていたのはこの石だけ。だから、その空白の間に何があったのかは分からない。
 少年は不安だった。とにかく不安で仕方がなかった。今、ここに知っている人は他に誰もいない。世界でたった一人のような感覚に陥る。
「大丈夫、大丈夫…」
 石をぎゅっと握り締めて、自分に言い聞かせる。
 一人でやっていける。一人でやっていかなくちゃいけない。一人でも、大丈夫だ。
「お待たせしましたね」
 館内に響いた声に少年ははっとして顔をあげた。そわそわしていた他の子達も一斉におしゃべりをやめて、そこに暫しの静寂が訪れた。
 移住の時に出迎えてくれた初老の男性が、幾人かを引き連れていた。彼らは揃って長い衣を身に纏っていた。
「これからあなた達の里親になる方々です」
 彼らは皆、ショルグ長やウルグ長で人望のある評議会議員だということだった。問題の抱える家庭に養子にするわけにはいかないから、養子先にはそういう人望厚い人の家が随時選ばれているらしい。
 順番に顔合わせが始まった。子供達は緊張しつつも、自分の養子先となる長と挨拶していた。長達はさすがは手馴れたもので、緊張をほぐそうと何かと話かけていた。
 やがて、最後になって、少年の番が回ってきた。しかし、自分の名前を呼ばれても少年は座ったままで立ち上がろうともせず、顔をあげようともしなかった。
「大丈夫よ」
 まるで温かい陽光のような女性の声が、少年の上から降ってきた。その声にふと懐かしさを覚えて、少年は顔をあげた。
 足元の赤い衣が目に入って、そして、更に顔を上げていくと、そこには微笑む女性の顔があった。自分と同じ褐色の肌。黒い瞳。黒く艶やかな長い髪は後ろでたばねられていた。
「あなたの養子先の方です。現在、コークショルグ長をつとめていらっしゃいます」
 隣に立っていた初老の男性が女性の説明をしたが、少年の耳にはあまり入っていなかった。その胸にかけられた首飾りが気になって仕方がなかったのだ。その首飾りには、よく見知った翠色の石がつけられていて淡い光を放っていた。
 少年は温かいような、懐かしいような、でも、どこか淋しいような、なんともいえない気持ちになって、自分の手の中の石をぎゅっと握り締めた。
「ずっと待っていたのよ。よくきてくれたわね」
 女性は懐かしそうに微笑み、少年に手を差し出してきた。その様子が遠く、誰かとだぶった。確かにこの女性ではない誰かに手を引かれて歩いた記憶があった。
「ご馳走を用意しているのよ。さあ、あなたの家に帰りましょう」
 少年は、少し手を伸ばしかけて引っ込めたが、やがてもう一度手を伸ばして、おずおずとその手を取った。
 女性に優しい笑みが浮かぶ。それは、あの人と同じものを宿していた。

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